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スタッフBlog

  • 2022年01月17

    117

    今日は阪神淡路大震災から27年。

    毎年東遊園地には「1.17希望の灯り」が灯されます。

    震災を知らない世代が増え震災を忘れないように希望の灯りは【忘】の字が選ばれました。


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    あの日私は産婦人科病棟で助産師として働いていました。

    1月17日は日勤でしたので、地震のあった時間はまだ寝ていました。

    初めて経験する揺れで目が覚め、隣で寝ていた妹が目覚めて怖がるのをなだめていました。

     

    その後母が様子をうかがいに来てもう寝ることも出来ず起き出してNHKを見ていました。

     

    出勤の準備を始めたので放送内容は覚えていませんが大きな被害がでたようだと感じました。

    マイカー通勤をしていましたのでAMラジオで情報を確認していましたがアナウンサーが「今日は学校や会社は休んで家族で過ごしてください」みたいなことを繰り返し伝えていたのを覚えています。


    でも私はその日、重要な役割がついていたので何が何でも出勤しなきゃと余震が続く中職場に向かいました。職場までの道の被害は記憶にありません。

    途中震度4の大きな余震を経験しましたが無事に車で1時間の職場に到着しました。

     

    欠勤者の有無は覚えていませんが、夜勤の助産師が揺れの瞬間新生児室にいて、酸素のパイピングホースが激しくゆれ、保育器にぶつかるのではないか、そして保育器が動くのではないかと恐怖に感じたと聞いたことを覚えています。

     

    今のようなネット環境はありませんし情報源はテレビかラジオでしたから、帰宅後にテレビを通して被害の状況を知りました。死者数がどんどんふえ、普段あるはずのコマーシャルがなくて異様な感じを受けました。

     

    その後神戸から通う職員が、水が手に入らず許可を得て通勤時ポリタンクで水を持ち帰っていたことが印象に残っています。職場からの災害派遣もありました。


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    この記事を書いていて、私の記憶が薄れてきていることに気づきました。あれだけの大きな災害でしたのに27年をいう時間の長さを感じます。

     

    最後に毎年この日にこんなことを自分に問いかけて決意します。

    「私は善く生きれているだろうか。ただ生きるのではなく善く生きねば」



    山本和江